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| ■牧場からの出荷シーン(1955年) |
もっとも初期の牛乳宅配は、大きなブリキ缶に牛乳を入れ、それにジョウゴと柄の長い杓子(しゃくし)をかけて一軒一軒訪問し、お客に出してもらった容器に量り売りしていたと言います。
東京では、明治10(1878)年代まで量り売りのスタイルで宅配され、その後、宅配用の缶やビンが登場することになります。しかし、地方では輸送缶で運ぶ牛乳宅配がまだしばらく続いたようで、岡山県生まれの作家、内田百間の「牛乳」(『菊の雨』所収、1939年、新潮社刊)という随筆に、明治30(1898)年前後の宅配牛乳の様子がいきいきと伝えられています。
私の覚えているその時分の牛乳屋は罎(びん)に入れて配達するのではなく、珈琲(コーヒー)沸かしのような形をした高さが二尺(編注:約60cm)位もある大きな缶に牛乳を入れて携げて来た。その缶の蓋(ふた)を取ると、内側に柄のついた小さな柄杓(ひしゃく)の尖(さき)を一寸(ちょっと)曲げて缶の縁にかけるようになったのがぶらさがっている。私は初めから牛乳がきらいではなかったけれど、しかしそうやって牛乳屋が蓋を取ると、缶の中に何升も入れてある生の牛乳のにおいがぷんぷんにおって来るので臭いと思った。年寄りなどはけがらわしい物のように思っていたらしいが、子供の滋養になるというので私に飲ませたのであろう。牛乳屋が来ると家の者が牛乳を沸かす土鍋を出してそれに注いでもらうのである。牛乳屋は柄のついた小さな柄杓を土鍋の上にかざし、少し缶を傾けると、コーヒー沸かしの注ぎ口ようなところから白い汁が音を立てずにするすると出て来る。それを柄杓に受けて土鍋に移す。柄杓に一ぱい五勺(編注:約90ml)とか一合(編注:約180ml)とかいうのであったろうと思う。最後の一ぱいは必ずなみなみと溢(あふ)れさせておまけをする。私などはそういう事をするのを、初めから仕舞まで傍について見ていた。その当時の生活に牛乳という物はよっぽど珍しかったに違いない。私の外に犬も牛乳屋が来ると傍にくっついて離れなかった。だから牛乳屋は最後に缶の長い口から地べたに二三滴牛乳を垂らし、犬にもお愛想をして帰る。犬はいつ迄もそこの土を舐めて止めないからいくら犬の舌でも痛くならないかと思った。
※編集部で口語に改め、読みにくい漢字には読み仮名をつけ、一部漢字は平仮名にしました。ご了承ください。
『菊の雨』所収(1939年、新潮社刊)
ところで、この当時の牛乳の値段はいくらくらいだったのでしょうか?
『東京牛乳物語』(黒川鍾信著、1998年、新潮社刊)によると、明治6(1973)年東京に開業した和田牛乳の、明治12(1879)年の牛乳の値段は1合で3銭2厘。当時の日本酒1升(1,800ml)に相当する値段で、かなり高額だったことがわかります。和田牛乳の明治12年の収支決算は、純利益が374円。白米10kgが55銭という時代なので、非常に大きな収益と言えますが、これは当時は牛乳が薬用であったことを物語っています。事実、お屋敷町に牛乳を売りに行くとき、配達夫は周囲をうかがい、裏口からこっそりと入ったと言います。これは、牛乳を買う家には病人がいると、変な噂が立たないようにとの配慮からでした。 |