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宅配牛乳歴史資料館
第1回 配達の歴史編
第2回 牛乳の容器編
第3回 味と品質編
宅配牛乳歴史資料館 第1回 配達の歴史編
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宅配牛乳のことはじめ
■乳しぼりの様子(1953年)
■乳しぼりの様子(1953年)

初めて牛乳を口にした日本人は、飛鳥時代の孝徳天皇(596〜654)だったと言われています。百済(くだら:現在の韓国南西部)の善那(ぜんな)という人物が天皇に献上したものです。しかし、牛乳などの乳製品は薬用として特定の貴族階級の口にしか入らず、庶民とは関係のないものでした。

牛乳が一般的な飲み物になっていくのは、明治維新の頃からです。文明開化と共に開港した横浜の港には、多くの外国人が住むようになりました。元々牛乳を飲む習慣があった外国人は、日本に牛乳を飲む習慣がないのに困ってしまいます。そこで、オランダのスネル兄弟という商人が横浜居留地に搾乳所を開設。外国人を相手に牛乳の販売を始めたのです。

これに目を付けたのが、千葉から職を求めてやってきた前田留吉という人です。前田は往来を歩く外国人たちの体格がいいことに驚き、「彼らが大きいのは牛乳を飲んでいるからだ」と解釈し、これからは日本人も牛乳を飲むようになるに違いないと直感したのです。前田はスネル兄弟に乳のしぼり方などを教わり、1866(慶応2)年、和牛6頭を飼って、搾乳と牛乳の販売を開始しました。これが、日本で初めての牛乳搾取所とされています。

その後、前田は上京し、明治2(1869)年、明治天皇に乳しぼりをご覧いただきます。これを契機に明治天皇は明治4年から、日に2度ずつ牛乳を召し上がるようになり、またそれより少し後には牛肉も口にされました。これが新聞で報じられると、国民の間にあった牛乳や肉への拒否感情も次第に解消されていくことになります。しかしなにしろ、牛乳を飲むと外国人のように、髪が赤く、目が青くなると言われた時代のこと。牛乳が広く一般の人々の口に入るまでには、もうしばらく時を待たなければなりませんでした。

■ 阪川牛乳店(1885)
■ 阪川牛乳店(1885)
阪川牛乳店は明治3年(1870)、医師、松本良順が旧旗本の阪川當晴と組んで、東京赤坂に和牛・洋牛各1頭で始めた牛乳屋。
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大きなブリキ缶で量り売り

明治維新となり徳川政府がつぶれると、当時の旗本や武士たちは職を失ってしまいました。政府は失業対策のひとつとして、畜産政策を掲げます。これにより、旧エリートたちは牛乳搾取事業に次々と転業。当時の東京には大名や旗本の屋敷跡がたくさんあったので、牛を飼うには困りませんでした。大久保利通や西郷隆盛といった名士たちも畜産に大いに理解を示し、その普及に熱心だったと言います。

明治初頭から東京には続々と牛乳搾取所が開店します。この頃から既に、店頭での量り売りのほか、戸別配達を行っていたと思われます。『牛乳と日本人』(吉田豊著、2000年、新宿書房刊)には、次のようなくだりが紹介されています。

これは、千里軒といった運送業兼牛乳屋の話。玄関に袴をつけた番人をおいていた。牛乳を注文にきたお客は「遠路お気の毒ですが、どうか毎朝一合ずつお届けなすってください」といって、番人にお願いをしたというから、いかにも、もと武家である。

『牛乳と日本人』(吉田豊著、2000年、新宿書房刊)

■牧場からの出荷シーン(1955年)
■牧場からの出荷シーン(1955年)

もっとも初期の牛乳宅配は、大きなブリキ缶に牛乳を入れ、それにジョウゴと柄の長い杓子(しゃくし)をかけて一軒一軒訪問し、お客に出してもらった容器に量り売りしていたと言います。

東京では、明治10(1878)年代まで量り売りのスタイルで宅配され、その後、宅配用の缶やビンが登場することになります。しかし、地方では輸送缶で運ぶ牛乳宅配がまだしばらく続いたようで、岡山県生まれの作家、内田百間の「牛乳」(『菊の雨』所収、1939年、新潮社刊)という随筆に、明治30(1898)年前後の宅配牛乳の様子がいきいきと伝えられています。

私の覚えているその時分の牛乳屋は罎(びん)に入れて配達するのではなく、珈琲(コーヒー)沸かしのような形をした高さが二尺(編注:約60cm)位もある大きな缶に牛乳を入れて携げて来た。その缶の蓋(ふた)を取ると、内側に柄のついた小さな柄杓(ひしゃく)の尖(さき)を一寸(ちょっと)曲げて缶の縁にかけるようになったのがぶらさがっている。私は初めから牛乳がきらいではなかったけれど、しかしそうやって牛乳屋が蓋を取ると、缶の中に何升も入れてある生の牛乳のにおいがぷんぷんにおって来るので臭いと思った。年寄りなどはけがらわしい物のように思っていたらしいが、子供の滋養になるというので私に飲ませたのであろう。牛乳屋が来ると家の者が牛乳を沸かす土鍋を出してそれに注いでもらうのである。牛乳屋は柄のついた小さな柄杓を土鍋の上にかざし、少し缶を傾けると、コーヒー沸かしの注ぎ口ようなところから白い汁が音を立てずにするすると出て来る。それを柄杓に受けて土鍋に移す。柄杓に一ぱい五勺(編注:約90ml)とか一合(編注:約180ml)とかいうのであったろうと思う。最後の一ぱいは必ずなみなみと溢(あふ)れさせておまけをする。私などはそういう事をするのを、初めから仕舞まで傍について見ていた。その当時の生活に牛乳という物はよっぽど珍しかったに違いない。私の外に犬も牛乳屋が来ると傍にくっついて離れなかった。だから牛乳屋は最後に缶の長い口から地べたに二三滴牛乳を垂らし、犬にもお愛想をして帰る。犬はいつ迄もそこの土を舐めて止めないからいくら犬の舌でも痛くならないかと思った。

※編集部で口語に改め、読みにくい漢字には読み仮名をつけ、一部漢字は平仮名にしました。ご了承ください。

『菊の雨』所収(1939年、新潮社刊)

ところで、この当時の牛乳の値段はいくらくらいだったのでしょうか?

『東京牛乳物語』(黒川鍾信著、1998年、新潮社刊)によると、明治6(1973)年東京に開業した和田牛乳の、明治12(1879)年の牛乳の値段は1合で3銭2厘。当時の日本酒1升(1,800ml)に相当する値段で、かなり高額だったことがわかります。和田牛乳の明治12年の収支決算は、純利益が374円。白米10kgが55銭という時代なので、非常に大きな収益と言えますが、これは当時は牛乳が薬用であったことを物語っています。事実、お屋敷町に牛乳を売りに行くとき、配達夫は周囲をうかがい、裏口からこっそりと入ったと言います。これは、牛乳を買う家には病人がいると、変な噂が立たないようにとの配慮からでした。

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週に1日だけでも配達

ブリキでできた輸送缶の時代を経て、明治20(1887)年頃からは、ビン詰めでの宅配に変化してきました。初期の牛乳ビンは口の長い、色の付いたガラスビンで、木や紙、綿などで栓をしたものでした。この頃まで、牛乳と言えば、しぼったままの、いわゆる生乳でした。明治30(1897)年代に王冠や陶器製の栓が登場すると、ビンごと熱湯につけて殺菌するようになります。ただし当時の処理技術では賞味期限も短く、朝と夕、1日に2度配達するようなケースも多かったようです。

昭和2(1927)年には、初めて牛乳の殺菌処理が義務づけられ、同時に牛乳ビンの統一が図られました。おなじみの広口の無色透明ビンの登場です。戦前・戦時中は物資不足のため有色ビンが復活しますが、戦後になってまた透明の牛乳ビンになります。

戦前は人力車や自転車による配達だったのが、戦後はトラックが登場。昭和30(1955)年代以降は日本の経済成長に呼応して、牛乳の消費量も飛躍的に増えたため、トラックによる大量輸送がメインとなっていきます。当初はトラックの荷台に牛乳箱を積み、氷塊といっしょに輸送していたそうです。

現在の宅配では保冷車が使用されることが多く、家庭用に専用の保冷箱も普及し、より牛乳の鮮度が保たれるようになりました。また、人々の暮らしの変化に合わせ、毎朝の宅配だけでなく、夕方や、週に1日だけでも配達してくれたり、インターネットで注文ができる牛乳販売店も多くなっています(サービス内容は各販売店によって異なるので、お近くの牛乳販売店までお問い合わせください)。さらに、地域イベントに積極的に参加したり、一人暮らしの老人の安否を気遣ったりと、宅配牛乳も時代の変化に即して、より便利で安心なものへと進化を続けています。

『牛乳と日本人[新版]』(吉田豊著、2000年、新宿書房刊)

『東京牛乳物語』(黒川鍾信著、1998年、新潮社刊)

『東京の牛乳衛生史──130年のあゆみ──』(海沼勝著、2001年刊)

『MILK CAP 牛乳ビンのふたの本』(和田安郎監修、2002年、きんとうん出版刊)

『御馳走帖』(文庫版)(内田百間著、1979年、中央公論社刊)

写真提供:毎日新聞社

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